ムスク路地.5/トム・クルーズ

 トム・クルーズのファン向け公開記者会見に参加出来るメンバーはトムのファンだろう。ましてやアリーナ席に座るというのは余程に熱狂的ファン活動を日頃から行っている人々…皆、さぞかしトムの為にオシャレをしているに違いない。
 わたしなどもう53。どうオシャレした所で場違い。そう思い、普段より地味な白いブラウスとグレイのプリーツスカートを選び、顔を隠す為にマスクをした。
「随分と控えめね!照れてるの?」
 同じアリーナ席に選ばれたチャイナドレスの女性が言うのに対しわたしは黙っていた。
 そもそものところ、わたしはトム・クルーズのファンではない。寧ろエキストラでも気付かないだろうと思う。
 チャイナドレスの女性と席につくと、半円形のステージの正面にラフな出で立ちではあるけれど「流石はトム・クルーズだ」と思わせるオーラと笑顔を振りまくカレがいた。わたしを凝視している。
「えー何々?トムったらアナタに釘付けよ!」
「ちょっとどういうつもり!?」

 俺は姉貴の足の上に乗っかって眠ったり、ぼんやりするのが好きだ。真冬でもそう。布団の中に入って寝る気などさんさらない。バッキーはオーナー・須磨子の布団に入り、かの女の語る怪談を聞きながら眠るのが幸せだと言うが、奴は多分自分が聞かされている話を解っていないのじゃないか?
 兎に角俺は姉貴の足でいい。

 わたしはトム・クルーズの凝視に耐えかね席を立ち、会場から逃げる事にした…よく考えてみればトムもわたしと同年代であろうけど、でも映画俳優と地味なおばさんとでは格が違う。
 ファン達が騒ぐ中、会場から出て非常階段を駆け下りるとそこは阪急百貨店の表だった。これならすぐに阪急電車で帰る事が出来る、でもついでだから買い物でもしようかと思ったわたしに声をかけてくる人々がいた。
「リッツカールトンでトムが待っています!」
「貴女でなくては駄目なのです」
 リッツカールトンも何もわたしは顔を見られたくない一心でマスクを押さえながら逃げた‥わたしの顔を見て映画俳優トムが絶望するのは避けたい…ファンでもなければ寧ろトムアンチのわたし…でも…ガッカリなどされたくはない。
 お願い、トム…わたしを放っておいて。

「お前の姉ちゃんって趣味が悪いやな」
 庭で草を踏んでいるとバッキーだ。俺は紳士だから奴の須磨子の悪趣味を指摘した事もないが、まぁこっちの姉貴とてそんなに趣味がいいとは思えないので無視しておいたがそこに偽アビシニアンのウリカがやって来た。
「インドマンションの仔猫達はよく育っているわよ?」
「それがどうした」
「ダニーのママがご飯あげてるのよ!ちょっと問題じゃない?」

 近所の商店街の横路に逸れたパン屋に入ろうとするとトムが現れた。
 鬘もなし、スキンヘッドでローリングストーンズのTシャツのわたしは全力で逃げた。