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 この家は広いようで狭い。
 当初「そのようなものは自分の部屋で飼え」という女の割には矢鱈と態度も見た目も大きい姉さんの妹という奴が我輩を敵視し、姉さんはそのようにしておったがこの部屋というのが洋間6畳の上に恐ろしく散らかってをる。それはそれで愉快ではあったが、時折父君が「こっちの方が明るいから出してやったら?」と呼ばはる。
 父君は奇妙な硬い座蒲団(これは爪を研ぐ為のものである)棒の先にちりちりと音がする鈴を付け、そこにその上ハイカラなリュバンを結んだものをヒラヒラとさせる玩具などを何処からかか贖ったやら創作したやらし、我輩の関心を買うのに熱心であった。こうなると無関心も気の毒である、爪を研いだりリュバンにつられて遊んでみたりなど(これは実は楽しかった)してかれと過ごす事が多くなりTVという物にも親しんだ。
 そこでニュースという物で姉さんの部屋と何だか似ている部屋や場所が映ると、必ず不景気な顔をして俯き車に乗せられる男があり、そのような情景になると父君はチャンネルを変え楽しそうなものを観ている。姉さんの部屋に不吉を感じていたのやも知れん。
 
 我輩が姉さんと暮らし始めた頃はかの女、仕事という面目で朝から夜まで帰らなかった。そのような時は父君と過ごしておったのであるが徹夜と申し夜も帰らぬ時などは、この家のもう一方の女人である母君が食事や水を世話してくれたのは良いが、この母君は我輩を「みーちゃん」と呼ぶ。哲学者や伊太利の仕立て屋の名を頂戴しておるこの身を「みーちゃん」とは実に胡乱な事ではあるが、かの女は哲学も高級服屋にも興味がなかったのか、この家で一番面白味のない出で立ちでもあった。

 そんなある姉さんの居らぬ夜に「おいジョルジュ」という、これは猫語で話掛けるものがありこれは妙なと顔を上げると我輩と似てをるが大きい割には痩せて毛のぼさぼさした猫が半分見えるような見えないような有様。「君は誰だい?」「ジョルジュだ。」
 聞くに彼はこの近くにある女大学で仏蘭西文学の教鞭をとっておられた老先生に愛されておった所、その先生が亡くなったとなるや見知らぬ連中に家を追われたとの事。して、先生の香りを辿り歩いていた所、ふくよかな老女猫と出会ったという。
 「僕は先生のご友人が飼っていた黒い母親の所から先生の所へ貰われていったので虎猫というのを知らなかった。だから奇異に思ったが、とてもいい虎で人々からも愛され、稲荷神社におれば食うには困らなかった。」
 「そうなのか。我輩は元々が公園産まれなのでいろんな猫が居るのは知っているが、それは兎も角、先生を亡くし虎と出会った君がここで何をしているんだい?」
 「時々、それでも先生の家を訪ねてみるや、そこの小さいのに投げ飛ばされたり自転車というので当られたり散々だった。」
 そしてかれは調子が悪くなり、水分も栄養もうまく採れなくなったという。なる程、その様なていである。
 「その頃、里佳子さんが一緒に暮らそうと先ずは蚤とりカラァを着けてくれたよ、しかしそのカラァが生意気だとまた自転車で当てられ、ふらふらとしていると病院に連れて行ってくれたのだけどこれが藪医者"辛そうなのでお家に連れて帰ってあげれば"と人間的には実に非常識な時間に里佳子さんを呼んで。辛そうも何もその医者が藪なのだけどね、里佳子さんは知らなかった。」
 「なる程、ところで里佳子さんとは誰なんだい?」
 「君にお姉さんと呼ばせているあの女人さ!先生と同じく僕をジョルジュと呼んだあの人には運命を感じてね。他の者は僕を"ぼくちゃん"と呼んでおった。里佳子さんの御母堂が君を"みーちゃん"と呼ぶのは性別も曖々昧々で笑止だけどね。みーちゃんというのは女の名で虎さんもみーちゃんと呼ばれておったが里佳子さんは"グールドさん"と呼んでおられた。」
 なる程、人間が勝手に猫を呼ぶよう、人間も自称するのだと見受けられるが姉さんの里佳子は唐突でもありいよいよ油断が出来ぬと見える。
 「それで君はここで暮らして居ったのかい?」
 「藪医者から帰って来、里佳子さんが僕を抱いてくれておる内にすーっと目が昏くなった。暖かさもわからぬようになり、僕は死んだ。」
 死んだとはまた解らぬ。ここに居り里佳子さんを愛着するのに。
 「死ぬのさ。何者もいつかは死ぬ。君はまだ若いからまだまだ大丈夫だろうが。ところで僕を亡くした里佳子さんがそっくりな君を不遇な所から貰い受けて来たというのには感じ入った。どうか僕の分も里佳子さんを善くしてやってくれ。」
 「よくしても何も解らぬが。」
 「里佳子さんは西洋占星術で謂うところの太陽宮が魚座にあるのさ。だから足さきを守ってやるがいい。起きておられる時は邪魔にもなろうから眠っておられる時にな。」
 「君は博学だね。」
 「先生が博学だったのさ。ではまたな。」
 斯様先生の自慢をして我輩ではないジョルジュ君は消えた。何時かまた会えばジョルジュの事を訊くがよかろう。