昭和のおもひで

 わたしは昭和38年生まれなのでバッチ昭和のひと。あさま山荘のTVも見た気がするし、大阪万博にも行きました。当時は母方の祖母が営む煙草&よろずやの手伝いを母がしに行っていたのでわたしもそこによくいた。すると向かいの貸本屋の婆さんが『スクリーン』を父に持って来た。そこでわたしも『ぼくら』とか『少年王』といったマンガ雑誌を祖母のお小遣いでよく借りていました。タイガーマスクのマントの付録は貸本屋婆さんがわたしにくれた。すっごいファンだったので‥でも「虎の穴」のパノラマ解説は怖かった!こんなトコ行ったら絶対死ぬ!
 ちなみに『スクリーン』は貸本で読んでいた父ですが『少年サンデー』(マガジン?)は自腹で買っててそれも読んでた。「怪物クン」が掲載されてた。それをして母は「漫画は絵の勉強になる」とかなんとか…ようわかりませんが。
 それは兎も角わたしが未だ3歳の頃にアップライトピアノ(所謂箱型、グランドじゃないやつ)を買ってくれた。先ずは楽譜が読めないとアカンとの事で近所の外科医の奥さんがやっていたピアノ教室に通わされました。何がどうって昔っから勉強は嫌いだったわたしはイヤイヤ行ってたのですが、小3の頃に叔父が聞かせてくれたグレングールドのベートーベン集を(SONYだったかな?月光・悲愴・熱情が収録されていた)聴いてから勉強ではない「音楽」というものに目覚めました。このアルバムには賛否両論なのですが、わたしは今でも愛してます。んで本格的に音楽が演奏したいというので母が別のピアノ教師をわたしに。
 などなどあって小5の時に知り合ったpontueの影響もあって井上陽水を聴くようになり→ジャケ買いしたジェネシスの『月影の騎士』で洋楽に‥というので邦楽というか日本の歌謡曲が好きだったのはGAROくらいでしょうか?ピンキラの「太陽の季節」は大好きでよくマネをして歌ったりしてたけど、これは随分前の事のようにも‥そんなワケであんまり歌謡曲を知らなかったわたしが22頃に某大手メーカーのデザイン室に採用されてから、カラオケに巻き込まれた。どうでもいいけどそこで上司だった村山部長になんだか虐められた。わたしが専門学校卒である事や、それまで小さいデザイン事務所でしか働いていなかった事をよく言われた。確かに先輩達は美大を出てデカいキャリアがあったりしたけど、そんなんなら雇ってくれなくてもいいのに‥と思ったけどある提案会議でわたしが「今の構成主義的デザインの新潮流とミッキー(そう、そこでの仕事はデ●ズニーのライセンシー商品の企画とデザインだった)」というマップを出したら村山部長は「これや!皆、このマップコピーしろ」。難しい表現おようでありながらイラスト多用のマップだったからおっさんにウケたのかも知れない。それから対応はそう悪くなくなりましたが、何かの売上げが云々で部長が休憩室で暗い顔をしていたので「部長、魚座はこれから幸運期ですよ?」というアドヴァイスをしたら"はぁ?"という顔でしたが「有難う。俺を慰めてくれんのおナザくらいや!お父さん俺と同い年やろ?ええな。お前みたいな娘がおって‥」と、いう時からえらく可愛がって下さるようになり、それからよく「おい!おナザ!市場調査行くで!」とか言って出歩くようになるのですが、そこで話される内容は彼が丁稚(でっち)時代の思い出。なんだか心が痛かった。"給料日の楽しみはカツ丼食べて映画やった"とか"魚の握り寿司なんか食うたん大阪に来て初めてやったで?わい、出身四国ゆうても山ん中や、バラ寿司しかそれまで食べた事なかったから美味かった"とか。それで「美味しいもの紹介します」とナンナンタウン(大阪ミナミの地下街)にあった明石焼きのお店に一緒に行ったら「これは美味いな!」と以降好物に。父&娘という意味ではオトナになってからは本父より部長との会話の方が多かったかもしれない。
 それからよく仕事の後「飲みにいこ!」言われてスナックに行きましたが、そこで出会ったのがカラオケ。しかしわたしに持ち歌などロクになく、部長の趣味に付き合いました。わたしの今の持ち歌が極めて古いのはその影響。「わいと一緒に歌って覚えぇや」。そのスナックだかのママに「あら、ワイなんて言うていいの?」と言われて「コイツはえーねん」。
 右画像はそんな彼が常務になって新しく部門を構えて(TDLのライセンシーを別部門にした)よく儲かって部門オンリーの社員旅行(そういう事するから‥)で食事の後の飲み会での1枚。昭和です。バブルです。こんなのセクハラやーと思われるかも知れませんが、この部長かわって常務とはまーったくセクシャルな感覚がなかったし、わたしの方から楽しんでいました。マイ亡き父はあんまり娘と喋ったりあだこだカマッテくれる方ではなかったので嬉しかったのもあるけど。
 ここでバックに流れている『抱擁』は箱崎晋一郎氏の代表作かも、と。難しいんですよ、結構。

 あぁお寿司と言えばわたしが割と身の程知らずにも「鮪のトロ」が好きだったのでよく父がお土産にお寿司を買ってくる時は「ナザちゃんの好きなトロがあるよ!」との事でしたが遅い時間だったりして眠いのを頑張って食べた。美味しかったケド。常務さんは仕事の後寿司屋にたまに連れて行ってくれて酔っぱらっては「好きなもん好きなだけ食うたらええで!」との事で、ガンガン「トロ」を食べましたが、後日そこの請求書が会社にきて怒られた事があります。「お前えぇ加減にせえや!」と。