アメリカン・ニューシネマと正義

 「イヤならみるな」という言葉をネットではよく見掛けます。それは確かにそうなのですが、見た事のないものなら取り敢えずは見てみないとどんなものかは解りません。
 映画にしても観てみない事にはどれ程評判が高くても低くても実際の所はどうなのか?
 わたしが生まれてこの方「これは…!」と思ったのはP.P.パゾリーニ『ソドムの市』でした。中2か中3の時、三宮にロードショーを友人と観に行ったのですが、よくもモギリのオバサンは制服姿の中学生を「アンタらほんとに成人やろね」と言いつつも入れたものだと(多分客が少なかったんだと思う)。
 しかしコレをよくも見せたな、というか勿論成人指定過ぎる内容なのですが、エロとかそういう次元ではなく問題作中の問題作。現に監督パゾリーニはこの映画に怒った人から殺されゴミ箱に捨てられたというのは有名な話…この映画以外は神話的な作品の多い名監督だったのですが…R.I.P...(『ソドムの市』はM.de.サド原作ですが、原作よりパゾリーニの映画の方が面白いと思います)

 まぁソレは兎も角、わたしが個人的に好きになれないのはアメリカン・ニューシネマという系列の映画です。大体がこんな感じです↓

反体制的な生き方もある、それを社会が認めなくとも!でも負けるけどネ

…それはイイというか個人の自由なのですが、概ねエンディングが暗いのです。ヴェトナムでの大失敗があって正義とは何か?という事をちょっとは考えるかと思いきや「この世で勝つのは資本主義体制(帝国主義)側」といった内容ばかりで概ね1回観たらもういいですというか…年代は違いますが『テルマ&ルイーズ』なんかも遠巻きにフェミニズムを叩いている内容で2度と観ない1作。

 それが昨日、CATVでウッカリ観てしまったのが『カッコーの巣の上で』。有名なタイトル画像(左上)のJ.ニコルソンからしてこれがココまで残酷でイヤな話とはあんまり思われないかもですが…
 過去何度も実は観てしまっているのですが、反体制=マクマーフィーに感銘を受け、最終的に体制を打ち破り自由を求める沈黙の力持ち=チーフ(右画像)がネイティヴ・アメリカンというのがどうも。
 反体制者はやはり沈黙を強いられ、体制から脱出するのはネイティヴ・アメリカンの沈黙の中にある力というのが散々ネイティヴを「インディアン(土人)」として殺戮しヴェトナムで無駄な戦いをしておいてそしてこれがアカデミー賞5冠って…

 そんな感じでわたしはこの辺の映画はあまり好きではないのですが、それはわたしが反体制と迄はいかずともどっちかというと反社会的な所があるからかも?単にワガママという気もしないでは有りませんが、高校時代をアメリカで暮らした結果かも?言いたい事は言わないと誰も察してなどくれませんという感じ?
 "…ただ自分に責任を持ちなさい"と続くのですがそこがアメリカン・スタイルなんでしょうね。その割に…まぁその話は今度。

 タイトルに『美容整形』とあるのは、何年か前にプチ整形をした事があるのですが、今回は割と派手な整形をしようと決断した。そういう事です。
 手術は来週です。顔ではありません。