アンドレ・ブルトン『ナジャ』

 アンドレ・ブルトンのこれを初めて読んだのは中学校の頃だった。結構難解な部分もあるけれど実にフシギでヘンな話だった。なによりも唐突にブルトンの前に現れるナジャが奇妙でわたしにはカッコよく思えた。そりゃブルトンもそう思ったのだろう。なんかそのちょっと前に彼が演劇を観た話(これもヘンな話だった)が述べられていて、そこに登場する女優の化粧が「していないようだった」のに比べ、ナジャは町中だのに「まるで舞台化粧のような」メイクをしていた、と。ブロンドの女性なのになぜか目のまわりが真っ黒に塗られていて「衝撃を受けるに足る」でもきれいな女性だったらしい。
 それから2人は時々会うようになるのだけれど、ナジャの語る事は奇矯でしかし詩的でブルトンは(まぁ引っ張りまわされるカンジではあるのだけれど)沢山のインスピレーションを受け取る。この右画像はナジャが描いた「猫の夢」というもので、その意味は「猫が逃げて行く夢を追いかけようとするけど重しがついているの」。まぁ一事が万事そういう感じなのだけれど、だんだんとブルトンはナジャの奇矯さに付いていけなくなり、これもまた唐突に2人は会わなくなる。
 中学の頃はそんなブルトンが卑怯者のように思えたりした。ナジャはちょっとおつむのイカレた売春婦なんだ、だのに放置するなんて残酷だとも思ったのだけれど、それから何度も読み返すうちに"わたしがブルトンでもこのナジャのような女性にはだんだんついていけなくなるだろうな‥"と思うようにもなった。でもナジャはかっこいいと思う気持ちはそのままだったので20年前にMac LC-630を妹がお古でくれてネットに入ってからはnadjaを使っていたりする。しかしそれをして「あ、ブルトンの?」と言ったのは4年前に逝ってしまったジャギュア師匠と、あとは従兄弟で電子工学を勉強してた子の2人だけだったけど(笑)その従兄弟は大学でなんかブルトンを研究しろと言われたらしい。難しい事は解らないけど何か関係あるのだろうか?アルゴリズム?なんかそんなのです。