『乞食』はいなくなったのだろうか?

 この左画像はカラパイアさんの所にあった「ペットと暮らすホームレス」というのの1枚ですがなんというか…わたしが若しホームレスになったら…うーん、さっさと猫連れて『ビッグイシュー』を駅前で明るい声で売りますは‥なんてお気軽な事が言えるのは「そうならない」と思っているからでしょう。でも、もしかして?そうなる瞬間とはどんな瞬間でしょうか?実は想像がつかない。 わたしは学生時代釜ヶ崎越冬闘争の炊き出しボランティアをした事があって、いろいろな職にあぶれたホームレスの人々と話しをした事があるし、隣町の駅近くに(しかし解り難い場所)救済センターがあってその道筋を尋ねられたので一緒にそこまで行った事も多い。この人達は厳密にはホームレスではないのかも知れないけど「体調悪くて」「学校ちゃんと行ってないから」=「仕事がなくって」といった『不運』の結果のような話が多かった。体調が悪かったり、学歴の問題などはその人たちの問題だろうか?こんな事を言ってしまうと傲慢かもしれないけれど、家庭環境の問題もあるんじゃないだろうか?そうした理由で日雇いの仕事にあぶれたらホームレスのような状況になるというのは『不運』以外の何物でもないとわたしは思ったし、越冬闘争のルンプロ革命主義にはウンザリしてそういう事を考えなくなった。でも幸運なわたしが何もしなくていいとは思っていない。子供の頃、母+妹の3人で三ノ宮に出かけた時、缶を置いて俯いているおばさんがいたので持ってた10円を缶に入れたら母に叱られたことがある。理由は「コジキにお金なんてあげなくていい」「でもお金がないんでしょ?」「アンタがしなくていいの、そんな事は!」だった。乞食って何?と尋ねると随分差別的なコトを母は言ったように覚えている。普通の煙草屋の娘のくせに、父が儲けてたからそんな事を言ったんだろうか?わたしとしてはそのおばさんが若し母だったらって思ったのだけどそれは言わなかった。想像力の違い、と今では思うけどどうなんだろう?道端で缶を置いて俯いている人にどうして同情出来ないんだろう?
 それは兎も角、乞食という言葉が禁止されたのは嘗ての東京オリンピックの時だったとか。そういえば昔のように缶を置いて座っている人は見かけない。ホームレスという言葉は割と新しいと思うのだけれど行政が「乞食」を「ホームレス」と言い換える為に救済センターを設置したのだろうか?それによって彼等の暮らしはよくなったのだろうか?そんな事はないだろうと思う。ただ名称が変わっただけで、その上「働きなさいよ」の重圧がかかっているように思う。それは彼等を一律に「怠惰」だと見做している発想が行政側の根底にある。確かにそういう人もいる。あとアルコール問題を抱えている人も多かった。そんな人々にまでマトモな対応など出来るかよ、といった部分もあるにはあるのだけれど…でも行政として管理していくのならもちっと真剣にやって欲しい。そしてボランティアの母体がルンプロ革命主義者であっても仲良くすべきだと思う。出来ないみたいだけど‥