愛って‥/Gift/A.I.

 先日GSさんの引用していた動画に脅威を感じました↓

 一体どうして安直に動物を捨てられるでしょうか?この動画の赤毛の子が本当に人間なら遺棄出来るでしょうか?それでも遺棄するお話に映画『A.I.』というのがあるのですが‥そこで一番悲しいシーンは「自らママ」になったモニカ=ママがArtificialIntelligence(人口知能=ロボットのことね)たるデヴィッドを捨てるシーンかと思うけど‥でも何よりも悲しいのはママを愛するという資質をインプットされたデヴィッドが2000年もその愛を維持し続けた事かともと気付いた!
 前に観た時に、ジョルジュはいただろうか…?いたかな?どっちにせよ、その時わたしがやっぱり腹立たしかったのは、生還の可能性が僅かながらあり冷凍保存されてるっぽい息子がいるのに!ダンナが会社から選ばれてA.I.を寄贈される(モニター?)。ここもヘン!生還の可能性のある息子がいる家になんでですか?で、まぁA.I.デヴィッド君になんとなく馴染めないけど‥母ちゃんは「この子のママになろう」と決心。デヴィッドの首の後ろをプッシュしながら「暗号」みたいなのを言う。すると…それ迄「モニカ」と彼女の事を呼んでいたデヴィッドが何とも言えない表情で「ママ…」。そう、この瞬間からデヴィッドは「ママ・ラブ」になる。そしてまぁいろいろあるんだけど(生還した兄貴がイジワルだったりetc,でデヴィッドが捨てられる)、彼は「人間の子になってママに愛されるんだ」と紆余局編を経て2000年の静止に(映画では「止まった」とあった)。その後幸せ(?)な終わりを迎えるのだけど。
 誰かを愛し続ける事は‥生きる意味にすらなるとわたしは思うけど、その対象が失われていては‥そこで想起したのは「ハチ公」。愛する相手をいつまでも待ち続けた彼はその待ち続けた7年を若しかしたら辛いというより必然と思って待っていたのかも知れない。それは可哀そうなことだろうか?教授を待ち続けたハチは「今日こそは‥」と思っていたかも。いや、思っていただろうと思う。
 でも映画ハチ公物語のラスト(↓)は泣ける…というか、ハチ、よかったね!って思える。死ぬ事がどんなものか解らないけど、こういう死に方は幸せじゃないだろうか?それとも人間とて死に於いてはこうしたハッピーエンディングが有り得るのだろうか?

 ちなみにマイ猫ジョルジュは7歳だけどあと10年は生きて欲しい。その為にはわたしが10年以上生きなくてはならないと思う。王子の死を看取りたくないけれど、わたしがいなくなった世界で彼がどう生きていけるかと思うと‥ま、ケロッとフリーダムな生をおくるかもしれないけど(´v`;)‥