もう3年/未だ3年

 今日は父の日。
 カレが在命の頃は、プレゼントをしていたけど幼少の頃はイラスト→小学校あたりは煙草1箱→中学校・高校あたりもそんな感じ→アメリカの頃は自作の絵ハガキ→働くようになってからはカレが好きな『ドンナロイア』というイタリアリストランテで御馳走…遠慮などせずガンガン飲み食いしてくれたものです。
 20年位前に部下を皆独立させる前はほぼ週末にしか家に帰ってこなかった父は、その後寂しかったであろうと思いますが、わたしが入れ違いに仕事やなんやで忙しくその辺の事はよく覚えていないのですが、でも週末に外食する習慣はそのままでした。

 で、アルコール入ると父が必ず言うのが「ナジャちゃんが3ツの頃、イタリアに出張して、靴屋で"マイ・バンビーノ!!"って買って来た靴、覚えてる?」
 …プルシアンブルーの革靴でリボンのついたやつね、はいはい…サイズが小さくて痛かった。それに、イタリア語ならマイ・バンビーノではなくミ・バンビーナやで…とは言いませんでした。…あと幼稚園の頃「Miss France」という水着やピエール・カルダンの前衛的なワンピースも、そりゃ気持ちは解るけどずっとセシルカット…昭和40年代の幼稚園じゃ浮きまくりましたは‥とも言いませんでしたは。そんな事いいジャン!

 ただ、残念なのは父とあまり会話しなかった事と『ハリー・ポッター』のDVDを知人から借りてきて「これ、ナジャちゃんどう?」と差し出した時「わたしはちょっと‥」とスルーした事。一緒に観たかったのかも知れないと思うとつくづく心残りです。

 でも、母&妹からボロクソに言われたジョルジュの引き取り。それだけはよかったと思う。父は元々犬や猫を飼っていたので、家に来たジョルジュを見て「賢そうな仔やな!可愛い!」と喜び、それからも懐かないジョルジュを溺愛していました。
 入院している時「ジョルジュがウロウロしてる夢を見た」と言ったのにはもう‥だから最期は自宅療養になって本当によかったと思います。