小学校のころ

 子供の頃から拘束される事が苦痛だった私は当然『学校』が大キライでした。先生とかもキライならガサツな男子は勿論、趣味のあわない女子もキライでした。不味い給食、夏場は温く冬場は冷たい牛乳も湿気たパンも得体の知れないおかずも缶くさい缶入りミカンも何もかもが大キライでした。でも大抵の先生は優しかったように思います。特に1年生の時の担任の鮎川先生は産休に入るとお家に呼んでくれたし、その時、代行で来た野口先生というおじいさん先生は私が子供の頃に死んだ母方の祖父と似ててすごく好きだったし鮎川先生が新学期には戻ってくるという前学期末、野口先生が今日で最後という日にはかなり泣いて先生を困らせた事がある‥もしかしたら先生たちが優しかったというより私はすごく扱いやすいガキだったのかもしれない。しかしそれは鮎川先生が担任した2年生迄の話。3年生の時のガラッパチな女・平川先生の「あんたは勝てるんやから泣かんと闘いなさい!私が応援してるから」という恐るべき応援あって暴力に目覚めました。平川先生が何を考えてそういう指導をしたのか謎ですがそれは悪い事じゃなかったと思います。シクシク泣いてるよりは無駄でも拳を振り上げる方がきっといい。例え夢見が悪くても。