ハリー・クレッシング『料理人』/抑鬱の波

 父の死後、わたしはだんだん痩せていった。まぁ以前は身長162cmのところ60k近くあったのが今や50kgを切るというのは病的という事はないのだけれど元々フックラしていたわたしがフックラでは無くなった事をまずは親族、そして知人や友人が指摘してくる。でもわたしとしてはもうあんまりオシャレしようという気もないのでダラダラした服装しかしていないのであんまり気付かなかったけど、先日友人から貰ったものの着ないでいた服を着て三ノ宮に出かけた時、バスルームの鏡を見てビックリした。わたしは別人だった。つか家にも姿見はあるのだけれど随分観ていなかった。もう自分に興味がなかったから。
 そう、わたしは父あってのわたしだった‥ああ、またこんな事ばかり考えるのは良くないと解っているし苦痛なのだけれど最近行っていた心療内科に行く気もあんまりない。そこで処方されるサインバルタがたいした効き目もないから。かといって以前パキシルを処方してくれた一駅向こうの心療内科には行きたくない。パキシルは効くんだけど。何故ならそこに通っていた頃のわたしはある意味幸せだったから。父がいて父が「やるじゃん」と褒めてくれる仕事をしていたから。でも今そんな世界をまた見たくないから。そもそもなんでその頃のわたしがパキシルを服用していたのかと考えるとそれは仕事のせいだったけれども基本的には「甘え」があったと思う。
 で、先日三ノ宮に行った時にブックオフの看板を持った人がいて(以前は地下の小さい店だったのが閉店していた)「どこにあるの?」と尋ねると物凄く解り難い説明だったけど凡そは解ったので行った。なかなか立派な構えになっていたけど、その建物の1階がよくないなぁ‥など。以前からこの建物は1階が他フロアと関係のない店舗の背後になっている。だから上階に行くエスカレーターはあれど希求力がない+エレベーターに至っては暗い通路の奥。よっぽど行きたい人にしか解らない構造。
 でもまぁブクオフに行って面白い本でもないかと探した所『料理人』を発見。その時わたしは‥この画像ですが‥わたしが産まれてちょっとして父がグラフィックで何かの賞をとった小説かと思い買いました。すごく奇妙な話だけど面白い。でもあのポスターとは雰囲気が違うなぁ‥とも。そうしたらやっぱり違いました。父のポスターはスタンリー・エリンの『特別料理』でした。
 それは兎も角、オモシロイ顔のわたしを抱く父のこの画像のバックにあるポスターはもうありません。妹が捨てたからです。妹は他にも父の作品を捨てています。父がまだ生きていた時に捨てました。「もう日焼けしてるし!」といった理由で。父は憮然としていましたが妹ときては事後報告でしたからどうしようもありません。本当に妹のやる事はわたしや父の感性を無視しているというか。父の死後はもっとです。チャチな家具‥父の残したアールデコのキャビネットに全くそぐわないそうした物や、父が誂えた食器を「手入れが面倒」と言って安っぽい食器を買ってきています。ハッキリ言って無駄遣い。食器の手入れくらいわたしがするじゃないですか?