文体の基底にあるもの/中原昌也『待望の短編は忘却の彼方に』/ココさん

 斯様呼ばれていない所に出向くはしなくてもいい事ばかりをするしこの『冷蔵庫ヘヴン』にしてもその読み辛さは恐ろしく思いつきで書かれているから…って自分のブログをタイトルで呼ぶあたりが難物の予感しかしないのですが、まぁそこはNo.1読者であるわたしの為せる技。
 ところで「ブログに於ける文体」という点で一番影響を受けたのはココさん(フルで書くと迷惑がかかりそうなのでとりま)という御仁で、影響というより根底にあると思います。何冊か本も出されているのでそこは天才なのでしょう(って未だソレ読んでないのですが)。東大だし。わたしには難しい所もある。御本人曰く
 「いちおう大江の後輩だしさ」
 それ何リスペクト…と思うと東大のなんか文学賞があるみたいで、そこで名を連ねているというだけの話。そりゃ大したものだけどそこにあったタイトルは微妙だったような気がする。
 それは兎も角、かれが未だ若干ヒマがあった時はコメとか下さっててその中で「こんなに読む気を削ぐブログはちょっとない…だがそこが‥イイ」みたいなのがありましたが多分褒められたのでしょう。

 そのココ師に教えて貰ったわりとハッキリ言ってどうでもいい教えの中で、今でも感謝しているのは作家としての中原昌也を知らしめて下さった事です。ノイズ系ミュージシャン(アーティスト?)としての中原氏は『暴力温泉芸者』で知っていましたが小説とは!
 で、コレが凄い。まぁ好き好きは分かれるでしょうがちょっと書けないというか…ってちょっと前にも中原昌也の事は書いたというか何度も書いてるから詳しくは割愛させて頂きますが、たまたま今日大阪にその割とわたしが行かなくても誰も困らない(寧ろ行かない方がいい)ギターサークルに行くに於いて道中の暇つぶしに選んだ一冊がこの『待望の短編は忘却の彼方に』。
 これは中原氏では割と面白くない部類の短編集なのですが、巻頭のタイトル作は面白い…って面白いか面白くないかで小説を判断というか語ってはいけない所かもですがそんな事は知らない。でもこれ程何が書かれているのかが延々と見失われていくような作風といえばロブ=グリエですがあれはちょっと。シネロマン前提?って割愛させて頂きますがと言いつつまた同じ事を書いているからこれは蛇足。でも蛇足が殆どだったりも…
 つかロブ=グリエは原語で読んだら…かも知れませんが、ラテン言語は苦手なので手を出さない所。

 で「文体の基底にあるもの」についてですが、わたしの場合「はじめに悪筆ありき」なので小学校の国語授業の頃からそこでまず文章に制限がかかる。面倒臭くて超短文の積み重ねになっていました。
 アメリカ在住の頃は、英語でしたから寧ろ他の現地人の方々よりキレイな字だったのをいい事に今度はちょっと長文を書くようになったのですが、すると途端にNG。今度は意味の整合性がなくなってしまっていたりして、等々。
 だいたい日本語に於ける副詞・助詞の在り方を知ったのは中国人の女の子にチューターしていた30年ほど前の事だったりする‥今では覚えていませんが。
 ですからわたしに於いて文体というものは有りや無しや‥って作家になろうというのではありません、ただこの『冷蔵庫ヘヴン』というブログを書くにおける何らかの一貫性は大事かと思い…ってしかしこれが今読むと結果一貫性などないです。テーマですら「このテーマで何でこの事を書いているのか」みたいなのはザラです。

 そこでココさんの登場ですが、ここで彼はわたしに新しい表現の場を示唆して下さりそれが某チャンネルであり「釣り」という…そこでの彼はもう独特な文体と口調が入り混じって見事なものでした。
 勿論わたしは当初ROMに徹していましたがあれには多大な影響を受けたと思います。

 彼の言葉で一番印象的だったのは「陳腐に堕するナヨ!豆腐の味が解らないnadja5であれど」でした。