『腑抜けども悲しみの愛を見せろ』/本谷有希子・文章というもの

 最近はちょっとでも解り易い文章をと心がけているつもりが、なんだか一層よくわからないわたしのブログですが、この「よくわからない」雰囲気はどこかで読んだ事があると思って考えてみたらこの『腑抜けども悲しみの愛を見せろ』に出て来る姉ちゃんの文章。
 『腑抜けども‥』は勿論解り易いというかそりゃ本谷氏は数度文学賞の候補にもあがっているから当然の話。というか彼女は劇団の団長(劇団名「劇団本谷有希子」というあたりが清々しい)なのでそちらで成功すればいいだけの事であるし成功している所に文学賞もヘンな話。でもこの作品が三島賞の候補に、というのは中原昌也がその三島賞を獲っていたりする事を考えるとちょっと面白い(中原昌也は実に独特な天才なので個人的には好きなのですが)三島賞の選考基準がよく解らない。
 そもその劇団の為の戯曲を小説化したのがこれであってその後映画化もされている、その『腑抜けども』ですが、これが独特というか読者を選ぶというか…勿論難解だからではないのですが割とイヤな話だったりする。まぁ「どうしようもない姉ちゃんやなー」という視点でならまぁ面白くなくもないのだけれど、その姉ちゃん澄伽のどうしようもなさが実は笑えないレベルだし、妹の清深のやる事もちょっと悪質だったりするし、これを読んで「面白かったねー」と友人なり知人なりに言い放つには勇気がいると思う。これ実はわたしと澄伽姉ちゃんとは似た所がある(姉妹関係での姉には割とよくあったりする+ここで父の娘というテーマも出て来たりするのですがまた今度)からでそういう所で面白かったねーもないわけで。

 まぁ映画化もされているし劇団でもやっているわけだから、ここで何を書いても下手なネタバレになると思うので、無駄な事は書かないですが、ただこの姉ちゃんの書く手紙の文章だけは一見(一読)に値するものではあると思います。読者(あと陰の読者)としては言いたい事など充分に解りますが、しかしある「設定」ここでは文通であり会った事もない相手(写真交換はしているけどそんなものアテにならないとも思わず、ここでも姉ちゃんは思いっきり失礼)にこれはどうであろうか、という。すなわちわけがわからない飛躍が多いに加え、家族への視線(なめてる)に関するディテールが出てくる。それが書く度にインクリースしていく。これを他人に読ませよう、きっと「ウケる」と思っている姉ちゃん。そしてその文章。

 とりあえずわたしは澄伽姉ちゃん程ではないのではないかとは思うけどそれは主観であって解らない。
 まぁ、猫のジョルジュしか今は傍にいないので尋ねられないけど、彼は彼なりに忙しいので尋ねたりはしない。わたしがジョルジュに抱いている感情をもう少し他所に向けられれば…と思うけど、これとてジョルジュにしてはどう感じているか解らない部分での考え…そう考えると迷宮入り。