きょうの猫村さん・8/家事というものの実質

 今日は大雨。神社でおじいさんが心配していた程の台風という感じではないのはよかったかも?まぁそれは兎も角、居間で天気予報を観ようと思っていたら「新国立」のニュース。これはわたしには直接的には全く関係のない話なので"ハハ、こりゃ安倍さんも大変やね、いつものことだけど"とか思っていたらそこに妹が「あ、ヒマやったらこれ読む?」と『きょうの猫村さん・8巻』を出してきてくれる。ヒマやったら…って‥と思いつつ有り難く読ませて頂く。
 「あなた、きっとクビよ」と帯にある。ああ、あの辺(勿論猫村さんではない)がまた何かやらかすんやろうなと思いつつ読み始める(やはりやらかしていた)。先ずは「スーパーハウスマザー/キャシー・マクラレン」の話で猫村さんらしい勤勉さを早速見せる。ここの読み所は「猫村さんの相変わらずの勤勉さ+その根拠にある相変わらずの目標」そしてその「揺るぎなさ」なのだけれど、そこでちょっと漫画通の妹に「キャシー・マクラレンやって」と話しかけるとそこで妹は「猫村さん面白いな」との御意見。うん。猫村さんは始まった時から面白かった所にこのあえてのエピソードが来ましたね、って事ですけど?と言おうかと思うけどさっきの「新国立」のニュースでちょいわたしもそれなりには何かを学習しているので言わない。
 言わないけどこの妹ときては割とオモシロイ小説なり漫画なりをわたしに貸してくれる(部屋に持っていくと後で取り上げに来る)のでわたしも「これ面白かったけど、読む?」とか本を差し出すと‥まぁそれはいいのですがここで2人、その読後に意見をたまに交換(やめときゃいいのに)したりもするのだけれど、これが大概、彼女とわたしは読んだ本が違ったのかな‥と思う事が多いしろもの。簡単な例えとしてはクリスティの『ABC殺人事件』の映画化されているのを一緒に観ていて「原作では××があってこの伏線になってたのにね」とわたしが言うと「かな?しかしデヴィッド・スーシェのこのファッションはアールデコやねぇ」という全く新しい視線を持ち出して来る。で「確かにこのブローチのデザインとかエルテっぽいね」とわたしが言わなくてもいい事をとりあえずサービスのつもりで言ってしまうと「ブローチ?私がしているのはそういう話じゃなくって‥」とABC殺人事件どころではない難解さに話はなっていく(過去に『シャドウオブヴァンパイア』という怪作を一緒に観ていた時も独特な視点で爆笑映画にしてくれたりした後で「あー笑ったね!でももしかして真面目に観てたんならちょっとゴメン」という謝罪?をされた事がある…あれはあまりに印象的だったので今でもよく覚えている)。

 そこで猫村さんなのですが、彼女が家政婦として勤務しているディテールが綴られているこの漫画作品ではいろんな事件がおこる。で、その中での猫村さんのオリジナルな発想が解決に繋がっていくのですが、これが「仕事もロクにしないで家にいる」とよく言われるわたしとして勉強になります。そこにある猫村さんの発想のオリジナリティと共にそこにある実は大きい「状況への別視点による客観性」がいかに大事かという事、猫村さんのそれをまた漫画という所でこの作者がそれをまたとぼけたタッチで描いている事(二重の客観)に感心させれれる事がよくあるからです(猫村さんが家政婦さんの仕事で犬神家に勤務している立場といえば立場なのですが、この勤務先の家族が独特に其々の視点ですれ違っている、そこに猫村さんがその独特な観点で係っていく中で)。
 彼女(猫村さん)はここで家政婦以上の仕事を実はしてしまっていて、それは家族の統合への努力という実に難しい仕事です。でも彼女がその事を淡々と(しかしこれがなかなか淡々では普通出来ない)勤勉さでやりのけていく、そこには「ぼっちゃんとの再会」という犬神家の事を置いておいても彼女が抱いている夢というか一番大切な大事業があるからだったりする。というかその大事業の為に彼女はかくも勤勉で仕事熱心なわけで犬神家のトラブル(見えない部分での微妙な離反)なんて業務を遂行するにあたって「勤務先が破綻しては困る」レベルの問題だったりする。だから彼女は奥様に叱られて「困ったわぁ」と悩みつつも仕事から帰ると「英語の勉強」に忙しいし「キャシー・マクラレンの勉強(これも実はぼっちゃんのいる外国を学習しておかなければが根底にある)」で「難しい所」があると同僚に「申し訳ないけど」質問してみたりしてその解答に納得(猫村さん風に)しつつも「ぼっちゃんに会うのはいよいよ大変そうね‥」と布団の中で深刻に悩みつつ「明日も仕事だから寝なくちゃ!」。

 実際の所「家事の遂行」というのは掃除や洗濯や食事の段取りという部分よりも、そこでの「家族に於ける各自の意見」の「統合へ向ける取りまとめ」すなわち「快適さへの努力」という所が実は大きいと思う‥って「ヒマそう」とか「仕事もロクにしていない」と言われてしまう事への反論ではないのですが。
 マイ家族(母+姉妹)のようなレベルでも「全員が納得する」→「統合」→「快適」へと至る為の作業ですら恐ろしく困難なしろものだと常々感じています。それはまぁ微妙にメンバーが仲良くないとか「ワガママ」だからといえばそれまでなのですが、しかし「グループ」なんて得てしてそんな物。そういう前提で先ず「納得」や「快適」の基準を設定しようという段階での摺合せですらなかなか纏まらない。漸く纏まったかと思うと各自の「体調」や「気分」で変更を余儀なくされる。パーキンソンの母親の「快適」こそが今の所の重要課題だという姉妹の観点すら時によって違ったりする。
 これ即ちわたしと妹との何らかの問題という事になって来る訳で、それはやはり『ABC殺人事件』をロブ・グリエ『迷路のなかで』に持って行くあたりでの彼女のメンタリティに於ける彼女の目指す「納得」の「方向」を忖度するか或いは「ええ加減にしいや!」と怒るかなのですが‥まぁ怒ると家出するので怒りません。面倒くさいので。

 そう、わたしにも家族のどうこうより実のところ大事な愛猫ジョルジュの御機嫌を取り計らうという大事業があったり。
 今日のような大雨でも自分で外出して確認する迄はいくら止めても確認しに出かける。それがカレのスタイル…ってまぁ大概濡れて帰って来てわたしに怒ってみたりするのですが、そこが可愛い。それを人間がやった日には…とりあえずそういう事だと思います。