村上龍/『共生虫』

 単なるアルバイトでは駄目な気がしています。職種に拘らず定職につかないと生活の時間帯がきっちりしない、ここはハロワに行くべきところ‥なんて思っている今日この頃、今朝、通勤(移動時間)のヒマつぶしにこんな本を。村上龍『共生虫』。画像は文庫ですが、初めて読んだのは単行本。2000年。
 内容はひきこもりだった主人公が女子アナのふとした発言に関心を抱きパソコンを買ってもらうところから。そう、お母さんは「何にせよ興味を持つのはいいこと」というスタンスでパソコンを買い与えるのです。わたしが母親でもそう考えるでしょう。で、この話に於いてもそれが悪かったとは思えません。
 主人公ウエハラ(自分で勝手につけた名前なのですが)は女子アナのサイトに行きメール、そこでヘンな人達にひっかかって‥でも本人はそれで前進していきます。奇妙な出会いの繰り返しの後、ウエハラは覚醒していく。まぁラストは控えておきますが。
 ネットで感想文とか読むと概ね否定的「ひきこもりはこんなんじゃない!」とか「非現実的!」とか。ひきこもりがどういうものかは実に個人的な問題だから「こんなんじゃない」と言っても‥あと「非現実的」というのは村上龍氏の小説における特質だと思うので‥そんな事言っちゃあ、ですよね。
 さて、わたしの感想としては「すごくイイ」。もう人生も後半かなぁっていうわたしがこれまでのいろいろな出来事を俯瞰しても世界はこういう感じ。いろんな事がうまくいったりいかなかったりというのは兎も角として「出会い」で何かが動いていくというのは真実。ウエハラの方向性はどうか?しかしそれはウエハラの問題。ひとつのフィクションとしてそうしたディテールが本当に上手く書かれていると思います。
 この小説が示唆しているのはあとがきで村上龍氏が言及しているよう「希望」或いは「架空のそれ」に対し、どう踏み出すか、なのだと思います。それは年齢に関係ないでしょう。