三天翔つづき

 昨夜は「へー!」に終止してじっくり歌詞が聴けなかった。たいがい私はヴィデオとかでも1作を1週間かけて観たりしてるの「なんだそりゃ」って感じですが、でも家に帰って来て雑用を済ませた段階で9時過ぎとかです。で、なるだけ1時には寝たいと思っているので自由時間3時間。そして音楽聴きつつメールチェックしたり日記書いたり云々という場合、歌詞までなかなか(よって昨夜は朗読のみ判読という有り様)。今日は結構じっくり聴いているのですが、『ママの唄』にはかなり複雑な気分。例えば今の私の年齢の頃、母親は中2になってイヨイヨ意味もなく素行不良になっていく私に対してどういう気分だったかって言ったらよく解らない。ただ、今夜は「ウチ母親もこういう気持ちだったんじゃないかな」と思える。それは帰りの電車でたまに一緒になる親子がいて。まだ若いお母さんが元気そうな赤ちゃんをベビーカーに乗せて隣の駅から乗ってくるんだけど、その赤ちゃんの着てるものや敷いてある毛布の柄が「私もこういうの着てたしこういう柄の毛布だった」って本当に思える感じで乗りあわせる度になんともいえない気分になるし、今日赤ちゃんが着てたシャツのパイル地を見た瞬間その「なんともいえない気分」の正体が判明したから。その赤ちゃん見る度に私は自分が大切にされてた事を思い出して居心地が悪かったんだ、と。愛されたり大切にされる事を『居心地悪く』感じるってどういう事なんだろう?そしてそんな私だから本当ならどこかで凄く泣きたい時に怒ったり、夢のなかでも暗殺者と延々闘ってばかりなのかも知れない。『二胡の夢』のような(ちなみにこの曲一番好きですよ!)自由な気持ちになれる日って来るんだろうかと思うとおぼつかない‥でもそういう日が来てほしい。