秀逸な幻視者=アラゴン『イレーヌのコン』

まず始めにお詫び

 6/3のエントリでこのアラゴンの作品を「梅毒かアルツハイマーでおかしくなった老人のたわごと」と書きましたが、それは記憶違い、というか同時期に読んだバタイユ『眼球譚』最後で語られる「作者の父親に関するエピソード」との混同がありました。神父であったその人は「作者」が母胎に宿った段階で既に失明しており、かつ氏が生まれて後椅子に釘付けになり後に発狂し‥というくだりで『イレーヌ』に出てくる同種の人物との記憶上での混同が生じたものだと思いますが、この2冊が同じ年('28)に多分同じ版元から出版された事を考えるとなんだか不思議な偶然です。
 さて『イレーヌのコン』ですが、正直な所中3の頃に読んで「きちゃないなーワケわからん‥」は当然の事だったとも。しかし今回再読して感じたのはアラゴンの幻視者としての豊かさと清潔さです。この作品に書かれている内容は「未だ出会っていない(或いは)未だ接点のない」尊い誰かへの期待でありその中で彼ははためくカーテンを幻視し、そして時には含羞を込めてそうした自分が陥る「主観地獄」までも書いている。そして(書き出しもですが)時には自動筆記によるイメージの増幅があり。id:temjinusさんによる「女の人が読んだらどう思うんだろう」という設問への私の答えとしてはまず「こういう人に恋されたい」。ハッキリ言って『イレーヌのコン』はかなり上質の「ラブレター」として読める内容だと思えます、イレーヌをキーワードとした遠大な、架空の、しかし実感のある妄想は女に愛された記憶による未知の恋人へのやはり求愛(request)じゃないですか?厳密な事情は解りませんが後々アラゴンがこの作品の存在を認めないような行動に出たのはその内容云々ではなく純粋にテレ臭かったからじゃないかな、とも。「あー!それ!やめてやめてやめて!」みたいな(笑)。
添付した画像はベルメールによる"IRENE"です。関係ナイかも?