新開地ときた!

 以前からid:kinutさんのエントリを読むだにどっかでスレ違ってんじゃないかとの感が強いのだが、新開地ときましたよ!マイ新開地デビューはしかし寧ろ遅いほうで10代。新開地が曾ては神戸のトップ繁華街であったアイコン・聚楽館にpontueと『キャリー』を観に行ったのが多分初めて。それ以前に大倉山図書館であるとか大倉山体育館に井上陽水(これもpontue)聴きに行くといった事はあったけれども、その数歩先に斯様、混沌としたワールドが存在するという事を知ったのは随分と後になる。勿論、新開地が本当に華やかな地域であったのは大昔。徐々に神戸の中心地が今の元町に、そして三ノ宮へと移行したのは女性の社会進出に伴ってではないだろうか。「仕事&遊び」に女性が参加するようになり商業の主勢力が『福原=遊廓街』から東へとシフトしたのだと思われる。
 と、まぁそんな事は兎も角『遊廓』を中心として栄えた街が近代を経て現代、すごく独特な発酵具合を呈している状況は実に興味深い。堕落でも退廃でもなく発酵。まず戦後の一大イベントであった東京オリンピック、そして大阪国際万博が開催されるに於いて日本の社会観はかなり意図的に塗り替えられた。有り体に言ってこの頃から日本に『棄民』は存在しない事になったわけである。今でいう放送禁止用語が設定されるようになったのも無邪気なガキにいらん知恵をつける同和教育が施されるようになったのもこの頃。根底にある発想は『オリンピックや万博といったワールドワイドなイベントを開催出来る日本は民主主義的国家で差別や不平等はない』という実に上ッ滑りなしろもの。こういう物の考え方を小室直樹は「腐敗した共産主義的思想」と書いていたが全くその通りだろう。これは「そういうもの」を抜本的、かつ漸進的に改善して行こうとするのではなく「そういうものを指し示す言葉」をやんわりと無くしていく事により「存在を否定する」という寧ろ残酷な消極的粛清である。しかし生きた人間である「そう呼んではいけない」人達は当然存在し続ける。そこで遊廓地域も一種治外法権地域(一応日本で売春はされてないハズ)でありそういう所に新興勢力として参入している人身売買お好きなビジネスマン、やつらが定職を持たない男性をも同地域に集めがちだし行政は棄民の事なんかどーでもイイから成り行きに任せている。そしてそういう地域は日本という国に認められないが故、独自な発酵を深化させていってい無国籍化している。そして政府は「勝ち組・負け組」等々相変わらず皮相的な差別的発言。税金払うのマジやめようかな?