うぅ~ん‥

 それは11月22日(日)ちょいとした雨の夜、飲み屋の仲間と楽しく焼肉を食べて泥酔したその帰りの事でした。自転車で転倒。
 起き上がろうとすると体が動かない‥"こりゃ飲み過ぎたかな"と‥思っていると通りがかりの人々が救急車を。

 結果は骨盤骨折。3ヵ所折れているし「これは手術出来ないやつやね。2ヵ月程安静にしないとなぁ~」との事。
「猫がいるから家に帰らせて下さいヨ」と始めわたしは言ったのを覚えている‥その段階でも体は動かないのに。手足は何ともないから暴れたかも知れない。

 カテーテル差し込まれ点滴を差し込まれ入院。
 いびきのヒドいお婆さんとの2人部屋で酔いが覚めてくると体が痛くて寝返りなどムリながら手足は動くし、兎に角病院嫌いというか搬入された病院がまた近隣でも悪評高い総合病院、退院したい一心。
 せめて5月頃だったか左手首骨折で手術した総合病院に転院したいとか思いつつもその時、携帯電話すら携帯していなかった独り暮らしの人間‥幸い叔父の家電話は記憶していたので看護婦さんが持ってるピッチ(古)みたいなので連絡。

 その結果翌日だったか妹さんがマイ・ガラパゴスと充電器と本とかなんちゃら差し入れしてくれたのですが、腰の痛みときては!
 寝転んでいるにはなんともないのですが検査だの部屋の移動だのにはストレッチャー、そこに転がされる痛さ!叫びます!あと恥ずかしいけど当然のようにオムツ生活なのですがその交換の痛さ!スクリーム!

 なんせ評判の悪い病院、わたしは今どこがどうでどうなるか?という事も適格に教えてくれません。看護婦と喧嘩したりもしましたが、とりあえずさっさと退院したいので自主トレ=腰を起こす訓練で痛みは10日くらいでマシとなり理学療法士のリハビリを要請。
 猫のご飯は妹さんが毎日通ってくれましたが安心出来ない‥等と言うとなんだかヒステリックで気も狂いそうな日々だったように思われるかもですが、意外と落ち着いていて「禁酒禁煙もいいものだ」という悟りまで‥

 わたしを「動かして」くれたのは未だ20代と思しき美人だけどちょっと風変わりな女性療法士さんでしたが、車椅子・歩行器にスグ慣れて松葉杖をやらせろというわたしに割と早く練習させてくれました。
 何故松葉杖というとコンパクトだからです。さっさと退院してもっといい整形外科でリハビリしようという魂胆。
 歩くだけの訓練などダメだからです。
 そして2ヵ月入院を24日入院におさえ退院し(骨折部位はかなり安定しついている)リハビリ生活というか松葉杖暮らしにも慣れ、うまく立てば一本でも動けますが、スタスタ歩けるのは来年でしょう。
 筋肉が衰えているのかガニマタみたいだったりするし、未だそうそう自由ではありません。

[:center]
 退院して猫ーズが喜んだかというとそうでもないなぁ~と思っていたところ、わたしの愛するジョルジュがだんだん動かなくなり往診専門の医者を呼ぶと「入院治療してなんとかなるかどうかのレベル」。
 そこで行き付けの動物病院に‥妹さんも来た。
 医者によると「重度糖尿病に腎臓の不調が重なっており人間で言えば癌ステージ4‥」ただでさえストレスに弱い子に入院は勧められない、自宅療養で毎朝来院してインスリン検査して夜に迎えに来るという方法がいいかもしれない

 往診の医者も動物病院の医者もハッキリとは言わなかったけど「もうダメ」という事だったのでしょう。
 言う医者はいましたが→初代ジョルジュを連れてったとこ。カレも脱水症状であずけた所、夜中に「あの‥もう苦しそうなのでよければお迎えに‥」。まぁ‥翌朝になってから「ダメでした。お迎えに」と言われるよりは?
 どちらにしても同じ事のような気がしますがジョルジュは逝ってしまいました
 12月23日の朝。

 初代ジョルジュハイヤー火葬して摩耶山麓ダムの上からお骨を撒きましたがジョルジュのお骨は骨壺に収めておいてあります。
 
 今のわたしは自らのマヌケな骨折とリハビリで通常の精神状態ではないから‥もう少ししてから徹底的な喪失感と悲しみを感じるのだと思います。
 ギャルのロルは兄貴分がいなくなって寂しいのか退屈なのか、わたしにくっついてばかりいますが、若しかしてジョルジュがくっついていたりして?

 まぁ何にしても皆さまよいお年をお迎え下さいね‥