旅行/旅団

 割と出不精なわたしですが、子供時代は家族で近場にお出掛けなど。
 写真でしか覚えてない事も多いですが、未だ妹がいないから2~3歳の時かもしれませんが須磨に海水浴にも。わたしは良く言えばセシルカット、悪くいえば立ててないパンクヘアで海の家というのかな、そういうトコに全裸で立ってる後姿が!モノクロ写真。前から見たら女子と解るであろうに…あとは布引で飯盒炊爨してる写真、この頃はもうカラー。妹もいるし小学校かな?髪もおかっぱ。
 ただ楽しかったというよりその分、リアルとの乖離というので憂鬱の方が強かった…ちょっと改善されたのは小3の時の担任が"鬼のヒラタ"という女教師「言いたい事は言うんや!」と引っ張り上げてくれた頃からでしょうか?
 そしてバブル時代、お盆に泊りがけの旅行行くようになったのは。20代半ば迄行ってた。もう仕事もしていたので上司からは「いいなぁ、Sちゃんみたいな娘がおったら..」普通家族旅行になぞ付き合わないか。

 そこで直属の上司と交換日記したりしてたのだけど(ほぼ愚痴・カレは糖尿病に加え愛妻家なのにその嫁がよく家出するとか(笑)わたしは仕事への)そのおっさんはしかし釣り好きで車でいろんなトコに連れて行ってくれた。
 貴船の料理旅館にも。そこで食べた夜の懐石は兎も角、朝ご飯に出た湯豆腐が美味しかった!
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 で、昨日から急に寒くなったので湯豆腐に挑戦、いや確か以前もやってるケド。
 わたしは豆腐の味のよう繊細なとこは解らないのですが、タレです。東海林さだお氏のエッセイでは"醤油"の一言で片付けられていますが貴船で食べた湯豆腐はタレが、ま、基本は醤油なのでしょうがほんのり甘くて凄く美味しかったのです。
 きっと何か深遠な調理法があるのでしょうが、わたしは単純に醤油+ちょっと味醂
 ただ葱の微塵切りのせいで一種別物に…

 しかし寒くなってくると思い出すのが釜崎越冬闘争です。
 わたしなぞ役にたたない=医療関係者がそりゃ必要なわけで1、2回炊き出しの配布係で参加しましたが後はカンパのみ。何故って役に立たないのですから。
 家族で釜崎というかあいりん地区にて年末は仕事もなく死者多数という内容のTVドキュメントを観てい、父が「努力しないから負け犬になる」的な発言をしたのには驚いたものです!
 あまり政治的な事は言いたくないのですが、専門学校時代ヒョンな事から『反日武装戦線・狼/支援集会』に出るバンドの作曲とキーボード、及び大道寺氏による獄中メッセージ朗読という任務を与えられた時、それに関連する集会にも参加し、いろんな人と話をしましたが"努力以前の問題"もあると知りました。父は確かに中卒でありながら成功したのは努力もあったでしょうが"運"というものもあったに違いないでしょう、わたし自身"運がよかった"だけのヒトです。

 父とあまりじっくり話をした事がないのですが、きっと「お互い本気出したら面倒くさい事になる」という予感があったような…

 そんな父の同窓生だったカツラ女史がわたしの中学時代、国語担任だったのですが就職してから駅で出会い「こんどお茶でも」
 駅近の喫茶店で会うとこの本(左画像)をくれました。
 中2の時、社会の授業で水俣病に関する話があり、社会の教師とわたしが交わした会話(議論?)を知っておられ…まぁそんなこんなで「この本を読んでみるといいと思うの」

 結果わたしは帝国主義の悪辣さは今でもキッときます。でも共産主義には賛成出来ない。今日は話が大いに逸れましたが、湯豆腐は美味しかった。